トラからの連想

 岩本ナオの歴史好き(というかむしろ史学科出身だし)は相当ですね。

 トラちゃんの本名をトラヤヌスにしてしまうなんて!

 ネコにローマ皇帝の名前をつけようなんてなかなか思いつきませんが、最高度のネコ好きと最高度の歴史好きが合致する瞬間、この奇跡的命名が完成します。

 彼女が具体的な歴史区分にかんして、どの時代のどの地域をやっていたのかはよく解りませんが、いずれにせよちゃんと勉強していたであろうことは想像に難くない。

 やっぱり彼女の実作の理論的背景を想定するのは、おそらくそんなに無理のある話ではない。本体を読んでいたかどうかは兎も角としても、少なくとも概説的な或いは断片的な形では人文系の理論研究に触れていたことはほぼ確実でしょう。

 ここからはほとんど妄想の領域ですが、ラテン語が出来るとかギリシア語が出来るとかそういう可能性もあるんですよね…。岩本ナオおそるべし。

3月の収穫

 随分ご無沙汰でしたが、何もしていなかった訳ではなく、むしろ忙しく働いていた(ということにしておいてください)

 次回のGirls' comic at our Bestにむけて、麻生みこと関連を収集したのと、六本木綾の単行本をまとめてそろえたのと、あと諸々の同人なんかを仕入れてきたりした訳です。

 改めて思いましたが、やっぱり単行本の1/4スペース大事だということ。文庫化に際して潰されることが多いのだけれど、描き下ろしとか入れ込まずにむしろそのまま残してくれって感じです。

 人にはよりますが、やはり作家のパーソナルな部分や当時の色々な状況というのが強く出てきますから、資料(史料)的価値が大きい。文学研究における書簡のような位置を占めるものではないかと思われます。

 例えば六本木の単行本を読んでいてわかったこととして、どうやら柳原望麻生みこととはかなり仲がよいらしいということ。トラブルドッグの時にわざわざ新幹線に乗って手伝いに来てくれるくらいには仲良し。

 しかし、この3人はほぼ同世代でキャリア的にもそう変わらないはずなのに、なぜか六本木だけ文庫化されてない。初期の作品で続き物なのに話数が微妙な所為で単行本化されてないものもあるのに。編集部に手紙とか出したらいいのかしらん?

西炯子と私

 今更ながらSTAYシリーズを全部読みまして、単純に郷土の作家という以上のつながり(と云うのもなんだかヘンですが)があるのだということが判りました。

 舞台が角島、つまり鹿児島であるというだけでなく、作中人物の数人(佐藤君や写真部の井上君など)が通う「開明高校」のモデルとなっている学校は私の母校であったりする訳です。虚実織り交ぜながら結構ディティールにこだわって描かれているので、ちゃんと取材したというか、身近に出身者がいたのかもしれません(小学館の担当さんがOBとかだったら面白いけどね)。

 かなり細かい話ですが、変な形のプール(長いコースと短いコースがクロスしている)なんかが正確に再現されているのはさすがです。寮にいられるのが高2まででその後は下宿に移るというのもその通りです。(全寮制の学校と思ってる人もいますが違います)
 根幹の設定にかかわる部分では、演劇部があったかどうか微妙です。予算を出した覚えがないのですが、私の記憶違いでしょうか。覚えていないということは仮に存在していたとしてもほとんど活動していなかったのかも知れません。

 あと時期的にも彼らと近くて、駅ビルが出来た時に高2とか高3ということでおよそ他人事ではないし、何より中央駅(となっているが専ら西駅と呼びならわす)周辺は我が家の近所だし、蟹山(谷山)や天文通り(天文館)といった作品の舞台は自らの生活エリアそのものでした。

 だからこそ身近な物語として彼女たちの生活を眺める一方、やはりそれはありえたかもしれない自らの物語とはなりえない訳です。あたかも同級生の恋愛話の顛末を観察しつつも私には関係ないわと思ってしまう瞬間のように、仔細を知っているがゆえにそれがあくまで彼の、彼女の物語であって自分のものではないということを強く意識させられます。

 読み手の意識というか、感情移入の問題になるかと思いますが、我々は必ずしも作中人物そのものになって物語に参加している訳ではありません。自らがなりかわってしまうのではなく、他者の物語を共有する楽しみというのもあるのだと思います。それはうわさ話やゴシップに対する興味とあるいは同じような類のものかもしれません。


 どこかの巻のあとがきで西炯子が好きだと云っているラーメン屋、私も好きです。鹿児島に帰った時は大体いつも行きます。ラーメンにはもやしとキャベツが不可欠。なんだか鹿児島に帰りたくなってきちゃったじゃないですか!

資料は足で稼ぐ

 きょうび様々なデータが電子化されている訳ですが、やはりカバーしてない部分が結構あって、最終的に必要な資料はウロウロしながら探すというプロセスが欠かせないことが多いですね。ヤレヤレ、これで4単位が失われずに…

雑記

 新年一発目ですが、特にそれらしいこととかはないです。あったらちゃんと元旦に更新してますね。すいません。

 ろびこの新刊がよかった、というのが今回の要旨です。

 どっかで見たような設定?とかそういうのは、いいです。もはやこの際問題ではない。

 新井理恵についてもよく云っていることだけれど、私は少女マンガにおけるタブーに果敢に挑戦していくようなチャレンジャーが大好きです。より具体的に云えば、嘔吐であったり鼻血であったり、そういったある種下品な要素をいかに組み入れるか(ただ入れればいいというものではない)というのが、個人的にはかなりツボです。

 「変態系少女マンガ」という呼称が適切かどうかは解りませんが、最近よく話題にする蒔田ナオであったりあるいはタアモ(の担当編集?)であったり、限りなくブラックに近いグレーゾーンへ斬り込んでいく姿勢というのは、声を大にして応援したいです。

雑記

 ひと月以上放置しててすいません。

 マンガ関係でブログを覗いて回ってたら、藤原規代が「私も、あと三回。 ラストスパート頑張ります。」なんて書いてるじゃないですか。
 で次の日記でメロディの編集さんと飲んだって…
 『アラクレ』が終わった後メロディでなんかやるんかー!?
 私はてっきり別花で『お嫁にいけない!』でもやるもんだと思ってたので、メロディは意外。(ほんとにメロディでやるかどうかは判りませんが)

 あと気になったのは、福山リョウコのブログ12/6のエントリにあった「津田ちん」はどこの津田さんデスか?
 「ジュリ」=鈴木ジュリエッタや「キヨちゃん」=藤原規代と仲良しなのは知ってたけど…(ちなみに藤原は菅野文と仲がいいみたい)

 こういう作家同士の交友関係なんかもきょうび相当にたどりやすくなってますね。昔はコミックスのコメントや連載時の今月のひとことみたいなものしか情報源がなかったけど、今はそれぞれのブログなんかがたくさんあるので、単純に情報のソースが多くなってるし、例えば誰々と遊んだみたいな時に情報の整合性を確認することもできる訳です。

 いい時代ですね。

宣伝です

 11/9(日)の「第7回文学フリマ」で出るsayukさんの新刊に私しぐれやも参加しておりますので、東京近辺にお住まいの方におかれましては来週末秋葉原にお越しいただけると幸いです。(私はちょうどこの日に帰国なので、さすがに東京には行かれません)

以下詳細です。


少女漫画を語る本「Girls' Comic At Our Best! vol.03」

★特集「岩本ナオ
・座談会「天狗会議'08」
(卯月四郎・高柳紫呉・野上智子・野中モモ・真悠信彦・峰尾俊彦・やごさん・柳田・sayuk)

岩本ナオ(だいたい)全作品レビュー(sayuk)

・レイト乙女ちック・ゴーズ・オン!(sayuk)

岩本ナオのやさしい世界(高柳紫呉/紫呉屋総本舗)

・天狗のお面の下はニヤニヤ(柳田/めこ)

・「友達からはじめ」ること、「友達でいい」こと(sayuk)

岩本ナオ私見(真悠信彦)

・「ふわふわ」のリアリティ(sayuk) id:sayuk:20080930:p1

・少女マンガのモデル化に関する試論(高柳紫呉)


その他:
衛藤ヒロユキ魔法陣グルグル』ってほとんど少女漫画じゃない?という対談なのです。(見月みーすけ×sayuk)

・わたしたちの「黒い羽」問題――ヤマシタトモコ「恋の心に黒い羽」をめぐって(sayuk)

・ときに作品のテクニカルな部分にこそ本当の気持ちは宿ったりして/三嶋くるみ『ろりーた絶対王政』について

(月読絵空/春になるまで待って)

・『NERVOUS VENUS』(を、今読むこと)について(sayuk)

・と語る○○先生。(sayuk)


A5オフセット60ページ、表紙フルカラー、300円の予定
ゼロアカ道場の裏あたりB-58「close/cross」というブースで出展、だそうです。


 一応自分の原稿について触れておきますと、2つあるうちで前編・後編みたいな関係にあります。それぞれ独立した文章としても読めるようにはしたつもりですが、理屈っぽい部分を切り離して後編としている感じです。
 前編「岩本ナオのやさしい世界」はほとんど短編3連作(「雪みたいに降り積もる」「僕の一番好きな歌」「青という言葉のない国から」)の作品読解のような形です。具体的な話がメインですが、最後で岩本ナオの根本的な立場はどういうものかというところまでは行きます。
 後編「少女マンガのモデル化に関する試論」は岩本ナオから出発して、少女マンガ的なるものを支える根本原理(と云うと大げさですが)へ接近することが主眼です。これはほんとに「試論」の段階で、発表していいものかとも思いましたが、岩本ナオという特定の文脈でならばギリギリOKかな?ということで載せてもらいました。これを叩き台にして以降の議論がなされれば嬉しいです。

 岩本ナオのよさというのは語りにくいなというのが原稿を書く前の印象だったのですが、色々考えながら書き進めるうちに自分でもナルホドこういうことだったのかと新たな発見がありました。岩本ナオの魅力を必要十分な形で伝えることが出来ればよいのですが、私の文章の拙さから必ずしもそううまくはいかないでしょうから、とにかく実際に作品を手にとって読んでいただけるきっかけの一部にでもなれば幸いです。