西炯子と私

 今更ながらSTAYシリーズを全部読みまして、単純に郷土の作家という以上のつながり(と云うのもなんだかヘンですが)があるのだということが判りました。

 舞台が角島、つまり鹿児島であるというだけでなく、作中人物の数人(佐藤君や写真部の井上君など)が通う「開明高校」のモデルとなっている学校は私の母校であったりする訳です。虚実織り交ぜながら結構ディティールにこだわって描かれているので、ちゃんと取材したというか、身近に出身者がいたのかもしれません(小学館の担当さんがOBとかだったら面白いけどね)。

 かなり細かい話ですが、変な形のプール(長いコースと短いコースがクロスしている)なんかが正確に再現されているのはさすがです。寮にいられるのが高2まででその後は下宿に移るというのもその通りです。(全寮制の学校と思ってる人もいますが違います)
 根幹の設定にかかわる部分では、演劇部があったかどうか微妙です。予算を出した覚えがないのですが、私の記憶違いでしょうか。覚えていないということは仮に存在していたとしてもほとんど活動していなかったのかも知れません。

 あと時期的にも彼らと近くて、駅ビルが出来た時に高2とか高3ということでおよそ他人事ではないし、何より中央駅(となっているが専ら西駅と呼びならわす)周辺は我が家の近所だし、蟹山(谷山)や天文通り(天文館)といった作品の舞台は自らの生活エリアそのものでした。

 だからこそ身近な物語として彼女たちの生活を眺める一方、やはりそれはありえたかもしれない自らの物語とはなりえない訳です。あたかも同級生の恋愛話の顛末を観察しつつも私には関係ないわと思ってしまう瞬間のように、仔細を知っているがゆえにそれがあくまで彼の、彼女の物語であって自分のものではないということを強く意識させられます。

 読み手の意識というか、感情移入の問題になるかと思いますが、我々は必ずしも作中人物そのものになって物語に参加している訳ではありません。自らがなりかわってしまうのではなく、他者の物語を共有する楽しみというのもあるのだと思います。それはうわさ話やゴシップに対する興味とあるいは同じような類のものかもしれません。


 どこかの巻のあとがきで西炯子が好きだと云っているラーメン屋、私も好きです。鹿児島に帰った時は大体いつも行きます。ラーメンにはもやしとキャベツが不可欠。なんだか鹿児島に帰りたくなってきちゃったじゃないですか!