鈴木由布子のコマ割りって案外複雑なのかも

 今までお話とかネタの面白さに目がくらんで気がつかなかったのですが、「丘の上のバンビーナ」を読んでこの人のコマ割りは案外複雑なことをやっているのかもしれないとか思いました。

 「ページまたぎ」は皆無で「変形ゴマ」が多い訳でもなく、むしろほとんどのコマは長方形で構成されていて全体的な印象はいたって普通。しかし、よくよく見ると「コマまたぎ」が意外と多い。しかもなんかはみ出し方が微妙、というかあえてはみ出させる意図がよく解らないものが多い訳です。

 この足の先だけちょこっととか、頭の上だけちょこっととか、はみ出す「コマまたぎ」を多用することでどういう効果があるのか、正直よくわかりません。何の気なしに読んでいると気がつかないくらい(まさか気がつかなかったのは私だけなんてことはないですよね…)ですから、通常の「コマまたぎ」で起こる3段ぶち抜きとかそういうものではないはずです。
 更に云えば、この種の「コマまたぎ」が頻繁に起こるシーンとそうでないシーンがあるような気もする。(これはまだはっきりしません)


 この間「放課後保健室」(水城せとな、プリンセスコミックス)についての原稿を書いている時もチラッと思ったのですが、私はどうも「形式的な」差異(或いは特徴)というものを気にする性質らしく、作品の扱う題材がどうこうとかそういうある種「素直な」着眼点というのは余り得意ではないようです。

 例えば「放課後保健室」であれば、時間経過を表す空白コマが統一規格になっていて、その空白コマが画面(ページ1枚)に対してどの場所に配置されるのか(右上とか左下とか)というところで幾つかパターンがあるとか、そんなことが無性に気になる訳です。だからどうしたと云われてしまうとそれまでなのですが、私としてはこういうポイントも結構面白い。

 形式、手順、ルール、呼び方は色々ありますが、明示的ではないそれらの法則性を無意識から意識に引きずりだす快感というのは、或いは社会科学と似ているのかも知れないとか勝手に考えています。