津田雅美を考える その2

 昨日、津田のコマ割りの特徴ということで、ページまたぎをあげましたが、よく見てみると今月号のLaLaでページまたぎを使用してないのは羽鳥ビスコ藤原ヒロマツモトトモの3人だけでした(ギャグのにざかなと江咲桃恵は除く)。

 という訳で、実はページまたぎを使ってる人の方が多いことになります。しかし、それほど目立たないというか、そんなに強く印象には残ってない。では、「通常」どのような用いられ方をされているのか。普通はアクションシーンであったり、見せ場であったり、そういう場面でページまたぎが起こります。ここは画面の密度の問題とも関係しますが、コマ割り自体より、コマ内部の動きが意識されていると考えるのが妥当でしょう。

 さらに云えば、見せ場というのは30ページ中にそうそう何度もでてくるものではないという性質上、ページまたぎの使用は通常1話で1、2回程度ですが、今回の津田の場合は前回見たとおり4回用いられます。これは、使用頻度にして通常の4倍という数字です(総コマ数が1/2でまたぎゴマが2倍なので)。


 これらのことを合わせて考えるなら、ページまたぎそのものというよりその多用という点で特徴的だという指摘は可能でしょう。これは、ほとんど無駄遣いにも近い贅沢さです。また、メリハリに欠ける(本来見せ場において用いられるところをその多用によってインフレが起こる)という批判的な指摘も可能かも知れません。


 では、このページまたぎのインフレをどう解釈すべきなのか。

 ページまたぎ(或いはそれによる大ゴマの創出)が見せ場を構成するのに適当であるのは、大ゴマの希少性による効果であり、通常空間とのコントラストが働くからでしょう。

 しかし、先に指摘したとおり、最近の津田作品においおいては、そもそものコマが大きく、加えてページまたぎも多用されている。これでは、見せ場が通常の意味でのそれとして機能しにくいことは云うまでもなく、メリハリがないと云われても文句は云えないような気がします。ただ、ここでのページまたぎは、見せ場でない訳ではありません。

 そもそも大ゴマ化(とそれに伴う総コマ数の減少)は、単純に「手抜き」と批判されるべきものなのか?

 この問題については賛否両論あるでしょうが、ごく個人的な意見を述べるのならば、手抜きではないと考えています。

 コマという空間の使い方というか、間の取り方というか、そういったものとして解釈して差し支えないと思う訳です。

 背景が真っ白でページ1コマ使ったりするかと思えば、ページの半分を丸々背景で細かく描いたりする、というようにコマの大きさのメリハリではなく、コマ内部の密度のふれ幅が大きく、そこでメリハリをつけるような作り方をしているように見えます。私は絵を描かないので、絵のことはよくわかりませんが、背景を余り描かないで独特の「間」を表現する人というのは、結構いるような気がします。感覚的にはよしながふみマツモトトモもこの類の「間」を用いる(背景を描かないというか、全体的に画面が白っぽく映る)と思います。


 コマ数が少ないことが作品内の時間経過を遅らせている訳でもないことも合わせて考えるなら、やはり手抜きと単純に云い切るのは問題があるような気がしますし。