71年組研究序説

 少女マンガの話をすると、24年組というのはよく出てくる。同じ時期に生まれた人たちを一括りにして考えてみるという切り口ですね。この場合は昭和の24年の話ですが、今回は西暦の1971年生まれということで何か見えてこないかというお話。

 これを考え出したのは、よしながふみが71年生まれだというのを知ったことがきっかけです。それより前に新井理恵が71年生まれというのは頭の中に入っていて、「あぁ、よしながふみも71年なんだ〜」と思った訳です。

 まだちゃんと調べた訳ではないので何ともいえませんが、この年に生まれたマンガに関係する人たちに共通する何かがあるのではないかと。

 専門的にどうなのかはさておき、個人的には新井理恵よしながふみもマンガ史においてかなり重要な位置を占めるであろうと考えていますから、これを何とか「1971年前後に生まれた漫画家たちの革新運動」とか云ってでっちあげてみたい訳です。71年前後に生まれた作家を洗い出して、それぞれの業績を並べてみれば何かわかるのかな…。

 ただ、どちらかというと新井理恵のマンガ史的な意味づけを行いたいという気持ちが先行しているのは否定できません。それまで多少なりとも少女マンガなるものに触れてきた自分にとって、新井理恵作品との出会いは衝撃的でした。そして、一連の少年誌・青年誌連載の作品を読むにいたって、彼女の特異性を確信した訳です。


 新井理恵作品の魅力とは、少々の語弊を恐れずに云えば、特に男の読者の場合はSM的なのかも知れません。痛めつけられることを経由する倒錯した快楽ということです。これは或いは作中の登場人物の言動にも現われているかも知れません。「LOVELESS」の後藤にしても「ろまんが」のコンチにしてもかなり倒錯した純愛を貫いています。しかし、これらの誇張された登場人物たちの行為に内在する真意とも云うべきものを拾っていけば、彼らの行動原理が(倫理的な意味でも)極めて真っ当であると理解できます。

 SM的ということで一番解りやすいのは、何と云っても最大の問題作「タカハシくん優柔不断」です。これはファンの間でも後味の悪い作品として有名で、積極的に人に勧めてよい代物ではありません。これについての詳細な分析は別の機会に譲るとして、結論だけ云えば、少なくとも主人公のタカハシくんは絶望的に救いようがないままに物語が閉じてしまうため、読者はそのどうしようもないラストを突きつけられて、精神的にかなりのダメージを受けます。これはやられっ放しということで、云わば放置プレイのようなものですね。

 新井作品になじみのない人にとっては甚だ不親切な解説でしょうが、既読の人は何となく解ってもらえると思います。簡単な説明でしたが。

 
 ともかく、新井理恵による「破壊活動」の一つとして、読者を傷つけるマンガを挙げたいと思います。明確な意図を持って読者を傷つけるということで云えば、榎本ナリコはその旨を自らのあとがき(「センチメントの季節」のどこかの巻)で述べています。彼女の場合は67年生まれなので少し上ですが、漫画家としての活動を始めたのが遅かったので、同年代として扱っても問題ないかもしれません。(商業誌デビューは確実に新井理恵のほうが早い)



 当面はよしながふみ作品の特徴とかを洗うことになるでしょう。何とか「破壊活動」の切り口で語れるものがないかと。

 とりあえず文庫化されてる分は一通り読んでみて、面白いのはよくわかりました。どこがというのはまだきちんと説明できる段階にありませんが…。