桜の花びら舞い散る季節に

 やっと「秒速5センチメートル」観て来ました。最初は東京でしかやってないとか聞いたので、どうなることかと思ってましたが、京都でもやってくれたことに感謝。東寺の近く九条大宮なんで、普段行く機会のないエリアでしたが、わざわざ出向いた価値があったというもの、一言で云いまして「よかった」と、そんなところです。

 「雲の向こう、約束の場所」は見てないので、「ほしのこえ」との比較しか出来ないけれど、格段に進歩している。やっぱりキャラクター造形って大事なんですね。お話(脚本という訳ではなく話の筋)は「ありがち」なものでも演出とか構成とかでここまで出来るんだなと、ただただ感心した訳です。

 3話の連作短編ということですが、舞台はそれぞれに北関東、中種子、東京ということになるのかな。個人的には第2話の中種子編が、もう堪りませんよ。反則ですね、あれは(笑)。デイリー牛乳、ヨーグルッペ、アイショップなんていう(鹿児島、南九州の)ローカルブランドのオンパレードで、小物だけじゃなくて、学校も町も道も中種子的なリアリティは抜群です。西之表でも南種子でもなく、中種子。種子島に行ったことのある人間にしか判らないけど、そういうローカルな空気を非常によく表現していたと思う。

 まあ、一つだけつっこみどころとしては、ロケットは夕方飛ばない(笑)。打ち上げは大体昼頃ですね。しかぁし、この際そんな事はどうでもよくて、そういう反則技的なものを差し引いても十分に評価できると思う。

 例えば、第1話「桜花抄」は携帯のない時代にしか成立し得ない物語です。文明の利器が『ないこと』による不自由と幸福というのは、「ほしのこえ」において携帯が『あること』によって生じる不自由と幸福と対称な相似形(合同)を成します。人間にとっての時間、距離といった種々の(抗いがたい)制約(困難)を主題とするという点では全く同じな訳です。
 さらに付け加えれば、(90年代前半の)北関東のローカルな空気もツボです。私の場合は新井理恵作品(具体的には「× ペケ」ですが)に依拠するもので、実体験に基づくものではありませんが、それでも中種子のリアリティと併せて考えると、ローカルのリアリティはそれなりの水準にあると思います。

 出会いと別れということであれば、「時代」(みゆき姐さん)でもいいのですが、矢張り、まさよしによる主題歌もぴったしでしたね。懐かしい曲であることが、なおさらあのラストには相応しいんでしょう。



 青春の蹉跌というのは、多くの場合ノスタルジーであり、慰めでもあると云えましょう。云ってみればオジサンの為のものでしかない訳で、現役の若者はそんなもの必要としないでしょう。ただ、共感とか感動とかいったものは、自分の過去と外部の現在のシンクロという意味で究極的にはノスタルジーでしかありえないと思います。この点で「物語」を必要とする全ての人は、程度の差こそあれみんな「オジサン」なのではないでしょうか。


 ともあれDVDが楽しみです。ここ4ヶ月トキカケを補充してないってのもあったのかもしれないけど…、やっぱりよかったです。新海誠とその他のスタッフに敬礼!