71年組研究序説 発芽前

 という訳で、今回は新井理恵作品に特徴的な表現のいくつかについてのお話。

 まずは、発話者の後頭部をなめて発話対象の正面を写すカットの多用について。作中では力強いつっこみの台詞とともに描かれることが多く、どちらかといえば前コマの発言を受けてのコマ右側からの発話より同一コマ内の右側の発言を受けての左側からの発話として多く現れる。
 この後頭部によるつっこみ表現(つっこみだけに用いられている訳ではないが、便宜的にこのように呼称する)は、当然のことながら発話者の表情を伴わない。汗などの多少の漫符や唇の動きを伴う場合も多いが、基本的に発話者の斜め後ろから(全くの背後からの場合もある)のショットなので、発話者の目を写す事はほとんどない。表情を伴わない発話とは云うものの、多くの場合それがつっこみの台詞であることや漫符等の装飾的表現により、発話者の心情は容易に想像しうる。
 通常のマンガ表現における発話主体と発話対象の関係といえば、能動/受動の関係であり、受動的立場にある人物を後頭部或いは背後からの視点で描くことは普通である。同一コマ内で発話主体の正面を描こうとすれば、それと向かい合っている発話対象は必然的に後ろ向きに描かれることになる。この関係を維持したままの、受身的な応答に関しては理解しやすい。
 しかし、つっこみ表現に関しては単純に受身的応答と片付けるのはどうだろう。つっこみというのは、先立つ発言をその前提としながらもその行為自体は極めて能動的な意見の表明である。先立つ発言に対しての反発や否定などの感情を伴う場合の発話は能動的な発話として、発話者の正面を伴い描かれるのが普通ではないだろうか。思い返してみると、ある発言を受けて反発・否定はコマを改めて発話者の正面で描かれることが多いような気がする。
 ただ、このつっこみは通常の発言に対する反発・否定ではなく、ギャグマンガ(或いはギャグシーン)という特定のカテゴリにおける特殊な応答の形でもある。このことをあわせて考えると、ボケ発言→つっこみという一連の動作を同一コマ内で完結させる上で、その時間軸上の前後がコマ内の左右に転換されるというコードにより、能動/受動の関係とは離れてコマ内の空間編成が行われるということになろう。
 もし、この考えが正しいのであれば、後頭部によるつっこみ表現はギャグというカテゴリ一般に広く見られることになるのだが、新井理恵作品以外では「多用」と云えるほどの使用例がある訳ではない様な気がする。ちゃんと調べた訳ではないので何とも断言は出来ないが、どうやら新井理恵特有の何かがこの表現の多用につながっているのかも知れない。



 もう一つの新井理恵的な表現といえば、流血が挙げられる。流れると云うより噴き出すと云ったほうが適切であろうか。「ろまんが」においては人間でないのをいいことに臓物まで飛び出す。この様な少女マンガにはあるまじき過剰な血液表現は、昨今の少女マンガ作品にも部分的に取り入れられている。しかし、新井理恵以前には恐らく存在していなかったし、現在取り入れられていると云っても、あくまでその使用は限定的であり、新井理恵のような執拗さはない。勿論過剰であることによってギャグとして成立する訳だが、彼女の場合はそれ以上に過剰な気もする。



 思うに新井理恵はあらゆる意味で過剰であり、その過剰さを以って既存の(少女)マンガ秩序を次々に破壊してきたようにも見える。暗黒の破壊神という称号は彼女の為のものなのかも知れない。